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 太平洋戦争が勃発(昭和16122)する約七ヶ月前(昭和16525)に誕生した私は、乳幼児期を丁度戦中に過ごしたことになります。そして就学時は戦後教育の発端期にありました。
 私は学校法人からたち幼稚園の園長も務めておりますが、自身が幼稚園に通っていた頃(昭和204月から223月までが保育期間だったハズ。昭和20815日が『ポツダム宣言』受諾の日で、その日から日本はGHQ占領下において復興を遂げて行かんとする、まさに激動の時代)の記憶が無いのです。確かに幼稚園に通っていたのでしょうけれども、私はこの間一体どのように過ごしていたのでしょう?

 就学した私は、大変気の弱い子供で、自身の思っていることすら人に話せないで、もじもじしている子供でした。それが理由だったのでしょうが、よくお友達にも下駄(古いですね)でたたかれたりしていじめられたものでした。(いじめた人を責めているのではなく、いじめの原因は私にもあったと思います…)
 しかし、母はそうした私を「一つたたかれたら、十たたき返してくる位に強い子になれ!お母さんがついているから!」と、よく励ましてくれました。
 また、素晴らしい先生との出会いもありました。 ある日、母が担任の先生に「先生、うちの保子は陽なたの子ですか?日陰の子ですか?」と尋ねました。 担任の先生は「残念ですが、日陰の子です」と答えられました。 すると母は、「先生、この子を陽なたの子にしてやって下さい。お願いします。私も頑張ります」と、私のことを鍛えて下さる様にお願いしてくれたのです。 先生は母の思いに応えて下さったのでしょう。
 その時から、まるでドラマのようで、私は自身で言うのは恥ずかしいのですが、成績も優良になり、児童会の委員長に選ばれる子になりました。 そして、今でも印象強く残っていることとしては、6年生の時には、尼崎市で始めての『健康優良児』として表彰していただいたことでした。

 さて、以上は私自身の生い立ちの一部でしたが、これは誰にでもあてはまることだと思います。 私の申し上げたいことは、「子供の健全な成長は『母親の子に対する献身的な愛情』と『子供の幸せを願う素晴らしい先生』との出会いに支えられるものだ」と言う思いです。

 子を持つと大人は『親』になります。『親』になると『子』の幸せや豊かな人生を望むのは当然のことと言えるでしょう。ですから「『我が子』が素晴らしい先生に出会って欲しい・・・」と望むのです。
 しかし、『子』は先生との出会いの前に『親』との出会いがあるわけで、ここをないがしろにしてはいけないと思うのです。少子化の時代にあってはこれに効果的な手段について色々と検討されており、例えば政府の推進している施策には、『育児支援』と言われるものがあります。

 核家族化(夫婦とその子供だけで構成される家族)が進む今般、『育児支援』の必要性が声高に叫ばれるのは無理らしからぬことかも分かりませんが、私には『育児支援』の意味するところが、あまりにも拡大解釈されているのではなかろうかと懸念しています。子供の誉め方・しかり方が分からないということから乳児のうんちの色や形が大人と違うことを知らない等といったことまで、上の世代からそれらにおける知識を教わることのできにくい環境にいる方に、保健師・保育士・幼稚園教諭が指導することは確かに『育児支援』でしょう。
 けれども、「子供を育てることに自分の人生の時間を割くのが嫌だ」と言う人の育児放棄を支援するのが果たして『育児支援』と言えるのでしょうか? 子育てにストレスを感じる親をショッピングなどに出かけやすくし、ストレスを軽減する(ノイローゼ気味にならないように)ために、保育園や幼稚園などの施設に預け易くする事が本当に『育児支援』と言えるのでしょうか? (いくら両親共働きでどうしても働かなくてはならない環境にあったとしても)子供のコンディションを考慮する事なしに10時間も12時間も、ひょっとすると24時間も施設に預けられるようにすることが正しい『育児支援』なのでしょうか?
 
 私達大人も、育児を通じて『一人前の親』に成長するし、『一人前の大人』になれる、と言った側面を持っています。『育児支援』に係わる制度はその時代に必要だから生じてきた訳で、否定するものではありませんが、制度・施設を上手く活用できなければ子供はおろか、大人自身も『一人前』になり損ねてしまうことを危惧するのです。
 子供との触れ合いに大切なのは、その時間でなく内容だ、と言う意見もありますが、私はそうは思いません。時間と手間をかければかけるほどよい子に育つと思います。子供は一足飛びに成長するものではないので、時間をかけてよく観察していないと、彼らのコンディションの変遷も見落とすし、彼らの発信する危険信号も見落としがちになります。
 つまり、先に申しました『母親の子に対する献身的な愛情』に程遠い話になってしまいます。

 私達の世代が子供の頃、我が国は食うや食わんの大変な時代でしたが、親の世代の人々はわが子が立身出世することに大きな希望を持っていました。また、人様のお役に立てるひとかどの人物になれと励ましながら、自身の背中を子に見られても恥ずかしくないように、自身を律して生きてきました。ある意味、かの先人たちは育児に非常なプライドを持っていたと言っても過言でなかったと思います。
 私は、育児に日々追われるお母さん方に声を大にしてエールを送りたい。
 『育児に励むことは誇り高いこと。子を産ずる母の姿は神々しい。でも子を育てる母の姿はその上美しい』と。

平成16年12月2日

『Yaccoのおもい』1>
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